トライアルサポーター

自分は他人に売ってもらえブログ

「2020年、コロナが日本にやってきた」」

こんにちは。

トライアルサポーター(通称トラサポ)計良 昌幸です。

「まさかの2020年」

そして、平成から令和に世は変わり、日本列島に未曽有の大災害が連発した元年。

今年こそは良い年にと思った矢先、まさかの事態が世界を巻き込みました。

そう新型コロナウイルスという見えない敵との戦いです。

東京オリンピックが開催される予定だった華やか極まりない年になると誰もが思っていた2020年の正月。

その後、まったく予想しなかった現実が日本と世界を襲います。

中国では2019年末からはじまっていたらしいのですが、わが国では2月の豪華客船が横浜港に停泊したあたりから始まり、3月の不穏な広がり、そしていよいよ4月には緊急事態宣言による「STAY HOME」運動が繰り広げられました。

まさにこれまでとは違った意味で、働き方改革が勝手に行われはじめました。

何せ外出禁止、会社に行くためでも外出するのは悪!

でもそこは、みんなも生活があるので、仕事はしないといけない。

そんな中、半強制的なカタチで「テレワーク」の台頭です。

4月、5月、STAY HOMEするうちに、みんな気づいてしまいました。

会社に行かなくても仕事はできるということを。

それだけではありません。

これまで移動や無駄な会議に取られていた時間が実は膨大だったということです。

気づいた人は多くのことを考え、行動に移す人は移しだしました。

その余った時間を別の稼ぎを生み出すことに使い始めたのです。

当然ですよね?この新型コロナウイルスの影響はいつまで続くかわからないし、世界の経済も確実に低迷していく。

そんな中で、今やっている1つの仕事だけでは、リスクが大きすぎる。

少し気づいていたけど、行動に移せなかった方々も動き出しました。

そう、動き出さざるを得なかったのです。

明らかにこれからの時代、いくつかの収入源が必要になります。

多くの人がそのことに気づかされたのが新型コロナウイルスなのです。悪いことばかりではありませんでしたね。

2021年新型コロナウイルスが働き方を完全に変えた8「コロナ社会の到来」

「2020年、コロナが日本にやってきた」」

こんにちは。

トライアルサポーター(通称トラサポ)計良 昌幸です。

「まさかの2020年」

そして、平成から令和に世は変わり、日本列島に未曽有の大災害が連発した元年。

今年こそは良い年にと思った矢先、まさかの事態が世界を巻き込みました。

そう新型コロナウイルスという見えない敵との戦いです。

東京オリンピックが開催される予定だった華やか極まりない年になると誰もが思っていた2020年の正月。

その後、まったく予想しなかった現実が日本と世界を襲います。

中国では2019年末からはじまっていたらしいのですが、わが国では2月の豪華客船が横浜港に停泊したあたりから始まり、3月の不穏な広がり、そしていよいよ4月には緊急事態宣言による「STAY HOME」運動が繰り広げられました。

まさにこれまでとは違った意味で、働き方改革が勝手に行われはじめました。

何せ外出禁止、会社に行くためでも外出するのは悪!

でもそこは、みんなも生活があるので、仕事はしないといけない。

そんな中、半強制的なカタチで「テレワーク」の台頭です。

4月、5月、STAY HOMEするうちに、みんな気づいてしまいました。

会社に行かなくても仕事はできるということを。

それだけではありません。

これまで移動や無駄な会議に取られていた時間が実は膨大だったということです。

気づいた人は多くのことを考え、行動に移す人は移しだしました。

その余った時間を別の稼ぎを生み出すことに使い始めたのです。

当然ですよね?この新型コロナウイルスの影響はいつまで続くかわからないし、世界の経済も確実に低迷していく。

そんな中で、今やっている1つの仕事だけでは、リスクが大きすぎる。

少し気づいていたけど、行動に移せなかった方々も動き出しました。

そう、動き出さざるを得なかったのです。

明らかにこれからの時代、いくつかの収入源が必要になります。

多くの人がそのことに気づかされたのが新型コロナウイルスなのです。悪いことばかりではありませんでしたね。

2021年新型コロナウイルスが働き方を完全に変えた7「愛社精神って何?」

「会社は安心できる場所ではなくなった」

こんにちは。

トライアルサポーター(通称トラサポ)計良 昌幸です。

客観的にその後の状態を予測する」

昨日の続きです。

19年勤めた会社を辞めるという決断をする中で、結局、自分が気づいたのは、冷静に客観的に判断するという事です。

とても伝統のある素晴らしい会社でしたが、冷静に見た時に

1、着物という商材がこれから右肩上がりで売れる可能性があるか?

→売り方も限界がきている。ましてはこれからEコマースが主流となり実店舗は減る。

つまり、さらにその環境は悪化する!

2、では、それに変わる新規の事業が立ち上がり軌道に乗るか?

→過去、いくつかの新規事業が立ち上がり、私に新規事業部に行ったこともあったがすべてうまくいかなかった。

3、新規事業が軌道に乗らない理由は何か?

→会社の体質にある。ましてや「前年比」が主体の業界。軌道に乗るまで待てない!のである。

などなど・・・。

ということは、これから売上が伸びるという可能性は極めて低い(と判断)

ということは、我々社員の働き方はどうなるか?

→上位ポストは減る。チャンスはあるが社内での争いは激化する。さらに締め付けが激しくなる。

そして、最終的にもうこの会社でモチベーションを保つのは不可能。

愛着とか、個人的感情だとか、そういう思いを一切排して、客観的に判断する。

それをやった時に私の心はスッキリしました。

ましてや早期希望退職。

そこそこの準備金=退職金もいただいて次の道を探すことができる。

まあ、その頃は会社人間で、外の世界をほとんど知らなかったから、より冷静になれたのでしょう。

冷静に判断したら、あとは、自分の思いを強く抱き、周りの意見は参考程度にとどめて我が道を行く。  

そう!

ここで、会社員の決断失敗あるあるですが、良く会社内の人に辞めるか辞めないか?相談する人がいますが、それは絶対に意味のない事だと思います。

なぜって、冷静に客観的に判断して、その会社しか見たことのない人が、転職や起業に対して良いアドバイスができるはずがありませんよね?

その立場や環境しか知らないのですから。

そういうところも冷静に客観的に判断するということは、すべての決定に対して最もシンプルかつ有効な手段だとわかりました。

たまたま当時、私もお酒が好きで、会社外にもたくさん友人がいたので、社外の人たちには良いアドバイスももらいましたね。

みんな辞めろ!と言っていました。

社内の人には(制度上の問題もあり)一切相談しませんでしたから(笑)

そんな事まで最後に学ばせていただき、本当にその会社には今も感謝しています。

2021年新型コロナウイルスが働き方を完全に変えた6「90年代の働き方」

「会社は安心できる場所ではなくなった」

こんにちは。

トライアルサポーター(通称トラサポ)計良 昌幸です。

「愛社精神と現実の乖離」

今日はそんな私の当時の気持ちの変遷を思い出してみます。

まあ、その会社では、そんな努力(?)もあり、比較的順調に会社の中を泳いでいった私ですが、いかんせん、扱い商材は着物です。

日本の伝統ですが、明らかに着用人口は減り続け、持たざる時代に向かって、需要がそんなにないことにみんなが気づき始めました。

するとどうなるか?

そうです!無理して売る!ということになりますよね?

と、どうなるか?

キャンセル、クレームが増えます。

何よりも現場のスタッフが疲弊していきましたね。

そこに輪をかけて、きもの古来の販売方法「展示会商法」これが、また世間から大きくたたかれることになりました。

簡単に言うと社員が頑張り過ぎて、お客様のことをかえりみなくなってしまうのです。

会社の売上は大きく落ち込みました。

これは世間的に仕方ないことなのですが、部長や店長などの責任者は精神的に追い詰められます。

会社の指示も明らかにおかしな指示が増えてきました!

そこで私はやっと気づきました!

これはこの会社、そしてこの業界、時代が変わったなと・・・。

ここで私自身すごくタイミングが良かったのですが、会社が100年の歴史の中で赤字になる!これはヤバいという事になり、会社は「早期退職を募る」ことになりました。

すなわちリストラです!

その概要が発表されると、、、なんと!私の入社年(平成元年入社)までがその対象だということで、私は決心しました!

と、ここまで書くと、簡単に見える決断ですが、そんな簡単なもんじゃなかったですね・・・・。

正確に言うと、初めての経験で私はとても考え込んでいました。

辞めて大丈夫なのか?他の会社に入れるのか?

他の会社でやっていけるのか?(と、ここでは自分で起業するなんて発想は全くないのです)。

さらに、この会社が今まで自分を育ててくれた義理とか・・・・・。

いろんな「言い訳」が私を邪魔しました。

でも悩む私の背中を一発押したのは、私の妻で後に売れっ子手相鑑定士となる「安藤雅子先生」でした!

妻は同じ職場で知り合い、職場結婚なのですが、結婚したと同時に彼女はとっとと退職し、ブライダル関連の新しい会社に転職しとても楽しく仕事していました。

だからこそ私にガツン!と言ったのでしょう!

彼女の言葉今でも忘れないひと言があります。

「大丈夫だよ!着物(という難しい商材)をこれだけ売って来たんだから、何だって売れるよ!」

確かに、その通りだな!

私に確信めいたものが舞い降りてきました。

妻には感謝しきりです!

今では辞めて(決断して)良かった!と思っています!

そう、あの時相当悩んだので、そんな風に愛社精神を持って、長く誇りを持って会社に尽くしてきた人の気持ちも良く分かるのです。

辞めて良かったと思いますけど、本当にその会社には感謝しています。

社会人としての心構え、マナー、礼儀作法、売り方、人の喜ばせ方、そして、チームをまとめるという事、チームで結果を出させる事、個人の数字を上げてあげること、本当に今のビジネス人生の土台となるすべてはここで学びました。

19年いたからこそ、時代の変遷も見ることができたし、本当にありがたいことです。

その後も、その会社の同期や仲間だった人たちとは会って話をしますが、その時、自分が冷静に立てた予想はほとんど当たっていました。

こうして、19年お世話になった会社を飛び出し、本当の意味で自分の人生を再スタートさせました。

2021年新型コロナウイルスが働き方を完全に変えた5「スマホ時代の到来」

「会社は安心できる場所ではなくなった」

こんにちは。

トライアルサポーター(通称トラサポ)計良 昌幸です。

「90年代の働き方」

では、新卒で入社し19年勤めた会社を辞めるまでの私の心の変化をここでお伝えいたします。

私が入社したのは平成元年4月1日。

まさに日本が経済で世界の頂点に立った年の新卒入社です。

自分的にはファッションや洋服、また営業が好きだったことから、大学時代もそういうアルバイトばかりしていました。

結果、アパレルブランド、某百貨店など、就職先は絞り込まれて行きました。

結果、先輩が熱心に誘ってくくれた、その業界では1,2を争う「呉服専門店チェーン」の老舗企業に入社しました。

当時、内定者(大学4年)はとても企業に大事にされました。

そうです、内定者が辞退しないようにです。

私たちも例にもれずとても大切に扱われました。

でもそれは4月1日の入社式を迎えるまでは!!!でした!!!

入社式を迎えた途端「奴隷」と化すのです(笑)。

でも、自分でもそんなもんだろうとわかっていたので、現実は厳しかったですが、何の違和感もなく仕事を遂行していました。

そんな中でも先輩や同僚には恵まれ、仕事も覚え順調に?馴染んでいったと思います。

この会社、ある意味良かったのは、単純な「売上至上主義」な会社で、とにかく売上順位ですべて出世がきまっていく。

とても簡単な評価システムでした!

なので、単純な私はそこそこがんばってしっかり仕事をして成果を出しました。(と思います。)

あと、時代的に「飲みにケーション」も多く、お酒もよく飲み、二日酔いで会社にいくのは当たり前でしたが、また夕方くらいから復活して、店舗の閉店時間まで仕事をきっちりやって、また終わった後も反省会という毎日。

良く寝ないで仕事に行きました。

まさに私の親父のような生活だったのか?と思います。

何の違和感もなく、これが仕事だと思って、会社から与えられた予算と格闘する日々。

転勤も2年から3年に1回くらいしています。

それが当然だと思っていましたから・・・。

 

 

 

2021年新型コロナウイルスが働き方を完全に変えた4「PCとインターネット」

「終身雇用の終了と成果主義の台頭」」

こんにちは。

トライアルサポーター(通称トラサポ)計良 昌幸です。

「PCとインターネットが世界を変えた」

私もその頃、景気が悪くなる中、着物という高額品の販売の仕事をしていましたが、会社は社員のやる気を出そうと尻をたたく、そこでは賞与に大きな差をつける。結果、成果主義という側面が強くなる。

でもご存じの通りそんなのは逆効果で、社内はギクシャク殺伐としていく。

中堅で長くその会社にいた人は、それまでの積み重ねもあり戦いますが、若い人はそれを見てどう思うか?

当然、未来なんて見えないのですからどんどん退職という選択肢を選ぶ。

離職率が上がったという言葉を聴くのもこの頃です。

でも、まだまだ他の企業に転職する人たちは多く、リクルートエージェントさんやJACリクルートメントさんのような人材紹介会社が乱立するのもこのころ。

転職が商売になり始めたのです。

仕事ができて自分に自信のある人は、どんどん条件の良い企業へ転職し、その上、収入もアップさせていく。

そんなキャリアアップのスタイルを選ぶようになりました。

もう、年功序列制度は風前の灯に。

いよいよ時代が変わり始めました。

まだまだ日本にはそのくらい新興企業がうまれてくるパワーを持っていたのだと気づかされます。

ビジネスにおける環境も変わりだします。

1995年、ウインドウズ95の発売と共にPCも身近な存在になり、携帯電話が普及し、世の中はいよいよ、いつどこにいても仕事ができる。(それが自分の首を絞めた人も多いでしょうが・・・笑)

そんな状態になっていきました。

これまでの会社に行くことで少なくとも仕事をしたという承認をもらっていた人たち(何も仕事しなくとも笑)。

やりにくい時代になってきました。

やがてインターネットが普及し、まさか、ショッピングまでもがネットにとって変わられるとは・・・・。

もっと言うとスマホを使って通勤時の電車の中で買物する。

すると早ければその日の夜には自宅にその商品が届いている!

予想はできましたが、ここまで早急に世の中が変わるとは・・・。

私も、現場で働いていて、これは会社の持つ意味も大きくちがってくるな・・・と感じ出します。

特に、そんな時代の変革についていけない経営陣を要する企業に勤める人は悲劇です。

会社のために尽くしても、リストラでクビは切られる。

会社も経営陣の失敗で一気に窮地に陥る。

その上、給与も上がらない。

こうして、会社にいることの意義に疑問を持ち始めた人たちが、さあどうしようか?と考え出す(まだ動き出さないですが)のもこの頃。

そしていよいよ、世の中はリーマンショックという、天罰のような不況に見舞われます。

私自身もこのころ、人生は1度しかないということで、それまでいた会社に見切りをつけ、飛び出しました!

でも、やはり、1度目は転職でしたね!

勇気を振り絞って退職願いを出しました!

ここから私の人生も大きな転換を迎えることとなります。

 

2021年新型コロナウイルスが働き方を完全に変えた3「終身雇用の終了」

「終身雇用の終了と成果主義の台頭」」

こんにちは。

トライアルサポーター(通称トラサポ)計良 昌幸です。

「バブル崩壊~リストラ(再構築)の時代」

さて訳も分からず、スタートした私の社会人生活!

自分の事で必死でしたが、世の中はさらに変化を続けていたようです。

平成となって3、4年すると、祭りは終わりを迎えます。

そうバブル崩壊です!

ここではバブル経済が起きた理由は述べませんが、根本的に意図的に操作された経済ですから、必ずいつかぼろが出ます。

それが予想より早く始まってしまいました。

でも、バブル以前から、日本人には次の兆候が表れていました。

それは、実力主義、成果主義という言葉と、それに伴ってのリストラクチャリング(再構築)という言葉。

いよいよ、これまでのような利益が出せなくなってきた大企業は、組織が巨大化しすぎて、なかなか変革できず、某山〇証券や某北〇〇拓殖銀行といった一流と名の付く金融機関が破たんし出します。

そこに少子高齢化、人材派遣などの働き方の変化、若者の意識変化も進んできました。

企業は今までの賃金体系を保つべくがんばりますがそれも限界に達します。

そこで企業はいよいよ動き出します!

そうリストラと非正規労働者の拡大です!

同時に当たり前に就職できていた大学生にとっては、まさかの就職氷河期なるものが訪れます。

大学まで卒業したのにフリーターにしかなれなかったり、就職浪人というスタイルも珍しくなくなりました。

常識が変わり始めました。今まで普通だったことが、普通でなくなってきたのです。

そんな世の中の変化の中で、考えの変えられない人たちは使われる立場を継続したのですが、逆にここがチャンス!とばかりに就職なんてせずに自分の腕で食っていこうとする人たちも大勢出てきました。

そこにまたまたITバブルなるものが沸き起こり、IT長者が多く輩出されました。

つまり、世の中が変わりは始めたタイミングで「今後、年功序列というシステムは持たない!」と感じた人たちは、とっとと自分のフィールドで勝負するという選択肢を選んで行くようになります。

そう、今の時代の変化のスタートは「バブル崩壊」の時期だったのです。

2021年新型コロナウイルスが働き方を完全に変えた2「バブル経済到来」

「戦後~高度成長期の日本経済と働き方」

こんにちは。

トライアルサポーター(通称トラサポ)計良 昌幸です。

「バブル到来~バブル後の日本」

昨日からスタートしたシリーズ。

本日は私が社会人になった頃の話です。

それは、私が大学を卒業する頃、つまり激動の昭和が終わり、平成のはじまりの頃。

そう。日本経済はバブル景気という意味不明な時代に突入していました。

私もいよいよ社会人となる時が来ました。

平成元年入社の私ですが、ごく普通に周りの大学生たちと同じように就職活動をして、ごく普通に内定をいただき、とある会社に入社を決めました。

新卒で入社したその会社には一生いる!もの。

少なくとも辞めるなんて発想は持ち合わせていませんでした。

確かにあの頃は日本も元気で良くモノが売れました。

金融、土地、建物、アパレル、白物家電、クルマ。稼いだ金はとにかく使う。

そういうモノを持つことこそステイタス(いや、見栄かな?)。

とにかく、今の20代~30代くらいの人には、おとぎ話のような時代、それが昭和という時代でした。

日本は1989年(平成元年)に株価37000円をつけ、文字通り世界一の経済大国になったのです!昭和の高度成長期を仕事に費やしてくれた先人たちに心から感謝申し上げたいと思います。

 

しかし・・・、人生、長く生きているとわかりますが、良き時代というのは、そんなに長く続くものではないんですよね・・・(笑)

その後、日本は、長い長い停滞・・・いや、後退!?の時代に突入していたのです。

(その頃は、気づきませんでしたが・・・)

 

2021年新型コロナウイルスが働き方を完全に変えた「高度成長期の日本」

「戦後~高度成長期の日本経済と働き方」

こんにちは。

トライアルサポーター(通称トラサポ)の計良です。

ブログをご覧いただきありがとうございます。

まず「働き方」や「営業の仕方」が変わった・・・と言う前に、それまでの日本人の働くことに対する感覚やその背景を確認したいと思います。

まずはその1回目。

「戦後~高度成長期」

かつて我々の父親世代は基本的には家にいませんでした。

そうです、ひたすら仕事していました。

というより会社にいました。

今、コロナウイルスショックの後、また世界は不況に陥ると言われていますが、あの戦争の時代に比べればその悲惨さは比ではないでしょう。

そう、まさに昭和20年8月に太平洋戦争が終わり、数年の混乱から抜け出した我が国日本。

日本人は、ほぼすべての人がその情熱を日本の経済復興のために費やしました。やがて、昭和30年代以降、世界動向の大きな影響なども受け、東洋の奇跡と世界に知らしめた日本の復興、すなわち経済成長が始まりました。

人は基本的に学校を卒業すると「会社という組織」に属し、1度入社すると、よほどの事が無い限り、ほぼ一生、経済的にも安泰というすばらしい制度が出来上がりました。

それゆえ人は、一生懸命勉強して、少しでも偏差値の高い学校に進学し、そして一流と言われる上場企業を目指しました。

そして、先生と言われる人たちもみな、そこに導くのこそが正しい姿だと思って勉強させました。

当時、男は家族のために仕事し働き、徹夜も当たり前、24時間戦えますか?という栄養ドリンクのCMが世を席巻するまで働きました。

おそらくその見返りも十分にありましたし、定年後も企業年金その他で悠々自適な生活ができたのです。

きっと、誰しもそちらの道を目指し、できればそちらに行きますよね?

同時に日本の大企業主義も発展を続け、3種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)という家電が世の中に発明され、みんながそれを一家に1つ。

昭和39年の東京オリンピック開催とそのためのインフラ整備。

まさに日本は1つになって敗戦国という呪縛から逃れるために皆心を1つにして働きました。

組織に属して給与を得る。会社の中で壮絶な競争をして勝ち抜いて、上位に昇進していく。

みな、必死にそんなサラリーマン人生を歩むことが普通でした。

まあ、良いか悪いかはともかく、そういう時代だったということです。

それは非常にシンプルで働きやすい生き方だったのでしょうが、逆に会社のためなら何をしても良いという考えを生み、家庭はほとんど顧みずに働いていたのが私の親父たちの世代です。

あまり「起業する!」なんて考えはなく「会社を辞める!」なんていうのは離婚に匹敵するくらい!?(今はどちらも普通の考えみたいですが・・・笑)ものすごい決断だったのです。

周りの反対も多いですし・・・・。

まあ、そんな背景を経て、日本は世界一の経済大国になっていくのでした・・・。

 

トラサポ 計良 昌幸

自分は他人に売ってもらう時代ブログはじめましたその2

「ご挨拶」の続き・・・

おはようございます。

昨日より続く。

2020年初頭より世界中に席巻している、そして2年経った今でも終息の兆しが見えない未知のウイルス。

奇しくも河村とは、その新型コロナウイルスの拡大開始の時期に再会し、時代がどんどん変化して行く中で、定期的ミーティングとトライ&エラーを重ね、修正して、またやってみて、、、。

まだまだ発展途上ですが、皆さんにそんな自分たちの経験値をお伝えしたい。

その思いからこの「トライアルサポーター」は進化してきました。

そのトライアルサポーターに込めた我々の思いは、ビジネスでの成功だけではありません。

人生の充実です。

人と人が出会い、仕事したり家族を持ったり。

また、人と人が出会い、いろんな意見が生まれやがて大きなビジネスに発展していく。

そんな人たちが、仕事も、休日も有意義な、日々学びのある人生を送る。

そんな、一歩前進を続けられるような環境を作るお手伝いをしていけたらと思います。

私の会社も2014年の起業から、気が付けば7期を終了しています。

この小さな会社でさえも、いや、小さな会社だからこそ、日々考え、変化を続け、皆さんに応援されたからこそ「婚活支援事業」「カウンセリング事業」「セミナーコンサルティング事業」「各種代理店事業」の4つが柱となり、今日までやって来れました。

ファーストピースという社名は。「1つ目に拾う欠片」という言葉からきています。

人生、何かを始めるということに遅すぎるなんてことはありません。ビジネスも、趣味も、やりたいことをやり遂げる。

そんな充実した人生のサポーターとして伴走できたら、こんなに嬉しいことはありません。

(なんてカッコよく書いていますが、当時は苦し紛れに立上げた会社だったのはまだナイショです・・・(笑))

私たち自身も、これからまだまだ出会いとご縁を重ねて行きたい。

これからお会いするステキな人たちと何か新しい事が出来ていくと、ワクワクしてなりません!

そんな、私・計良の、簡単な経歴を載せておきます。

それぞれの時期・組織で。いろんな事件や転機がありました。

それだけで1冊の本が書けるほどのエピソードがあります。

それは、これから徐々に明らかにしていきますので楽しみにしていてください。

計良昌幸 経歴

  • 1989年 日本大学卒業、アパレル専門店チェーン「やまと」入社
  • 2008年 人材紹介会社「JACリクルートメント」入社
  • 2009年 人材派遣会社「アシスト東海」入社
  • 2011年 MBOにより経営参画「アルムヒューマン」代表取締役就任
  • 2014年 代表取締役退任「アルムグループ」社外取締役就任
  • 同年 新会社「ファーストピース株式会社」設立 
  • 多くの事業にトライするも現在は4つの事業が生き残っています(笑)

こんな人生を送ってきた私ですが、

どうぞよろしくお願いいたします。

計良 昌幸

 

自分は他人に売ってもらう時代ブログはじめました

「ご挨拶」

こんにちは。

トライアルサポーターであり、セルフブランディングプロデューサーの計良 昌幸です。

新規事業の立ち上げとともに、今回再び自分の考えをブログにまとめたいと考えました。

そこで簡単な自己紹介を・・・。

私は、56歳です。

現在の会社を立ち上げるまで、アパレル専門店チェーン~人材サービス業と、比較的大きな組織の中でビジネスの世界を歩んで参りました。

私が社会人になったのは1989年。

約30数年前のことです。当然ですが、その間、多くの事が変貌を遂げています。

特にデジタルツールの発達によるビジネスモデルの変化は、それまでの常識がすべて覆るといっても過言ではないほどの大変革でした。

加えて、2021年の今「ウイルス感染症拡大」という未曽有の危機が、今度は人の働き方をも大きく変えました。

かつては、ある程度敷かれたレールがあり、そこに乗っていさえすれば、多くの人はそこそこ満足な人生が送れていました。

しかし、今やそれは完全に昔のこととなってしまいました。

組織の時代から個の時代へ。

もっと言うなら「個」が集まり「組織」を創るという時代へ。

これからは、自分が培ってきた経験を元に「個人がいくつもの本業を持つ時代」です。

そんな時代に向けて、トライアルする人のビジネスをサポートしたいと思うようになりました。

とはいえ、人は1人でやれることには限界があります。

私の人生が今こうして、そこそこ楽しいのは、これまで、妻をはじめとした、いろんな出会いとご縁があり、その輪が大きく広がっていったからです。

そして、ツライ時には皆に激励、励ましをいただき、逆に調子に乗っているときは、お叱りを受け、本当にたくさんの人に助けていただき今があります。

そんな事を思いつつ、もう1度、かつての日本のように、皆が前進していくような状況を創るために貢献したい。

そういう思いから、自分で会社を立ち上げ、紆余曲折あった中で、今回、信頼する、また尊敬できる友人でありビジネスパートナーの「河村直人」とトライアルサポーターという事業構築に乗り出しました。

そんな思いや、何故そう思ったのか?など、これから自分も楽しみながら、皆さんにお伝えしていきたいなと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

計良 昌幸