「今の時代の感覚に対して昔の感覚」
こんにちは。トライアルサポーター(通称トラサポ)計良 昌幸です。
「自分の棚卸をしてみる」
では、今こうして「トラサポ」をさせていただいている私計良自身はどんな経歴=人生を送ってきたのか?
ちょうど良い機会なので振り返ってみたいと思います。
人に話すとけっこう面白がられます!(笑)
期待せずに読んでみてください。
生まれは北街道です。
新聞社に勤める父と、百貨店販売員だった母が結婚して、姉1人、弟(私)1人でこの世に生を受けました。
すぐに父は東京本社に転勤になり、家族全員東京に引っ越してきます。
北海道の家はまあまあ広かったのですが、東京の社宅はまさに当時の社宅!2部屋しかなく、とにかく狭かったのです!
そこで、父は一念奮起して、当時の時代の流れもあって東京都郊外に一軒家を購入しました。
そこがいわゆる自分の実家になるのですかね?
小学校から大学までは、その家から通っていました。
ごく普通の野球やサッカー好きなガキで、当時の東京都下にはたくさんの土地(冬の田んぼとかですが)がありましたので、自然と遊びが野球になっていきました。
少年野球チーム~中学野球部を経て、都内の私立高校の入学します。
ただ、そんな実力があるほうでもなく、また、当時、技術よりも最も大切な!!根性もある方ではなかったので、高校では野球を諦めてサッカー部に入りました。
何故か?
どちらも厳しくツライ練習なのですが、その高校の野球部は甲子園にも出場した名門校。とにかく朝から晩まで、午後は授業免除で、学校から離れたグラウンドで練習しているのです。7~8時間はやっていたのではないでしょうか?
それに引き換え、都心の高校だったので、サッカー部はグラウンドを区などから借りて練習するのです。
なのでだいたい1日2時間くらいで効率的に練習するのです。
監督も、無駄に長くやっても集中力が持たないという考えでした。
実は、この野球部とサッカー部の考え方の違いは後の人生に大きな影響と価値観を与えてくれましたね。
その後は、普通の私立大学生となりました。
良くありがちな、アルバイトに明け暮れる4年間でした。
自分の好きなモノを買うために、、、。
主なモノは洋服、酒、クルマのローン、こんな感じでしょうか?
実際に、過去バイトした業種は、小学校時代の新聞配達に始まり、高校時代のファミレスチェーン、大学はコンビニエンスストアと今思えばその時最も拡大された産業。
それらのビジネスオペレーションを見るのが大好きでした!と同時に彼女を探したり(笑)、他にもレストラン、建築業、測量助手など、まあ肉体労働がすべて。
身体と時間を差し出して、時給を得る。
それしかありませんでしたから・・・。
そして、そんな私が大学4年の時に、激動の昭和が終わりを告げようとしていました。
日本経済は戦後の復興から立ち上がり、まさに世界の頂点に立つ、そんな瞬間が迫っている時期でした!
(と、当時は思っていた・・・笑)
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